1969.06 転校

本格的に歌の勉強をはじめる

1969年 (昭和44年)6月

さて佐藤靖君は、自分の進む道を、進とうちゃんに相談したわけ。
かなりの反対はあったけれどね、結局はわかってくれて伊代子かあちゃんと一緒に上京する事になったんだ。昭和44年6月の初め、東京浅草の伯父さんの家に居候。学校も台東区立台東中学校に転校。それで近所の歌謡学院へ通ってね勉強を本格的に始めたの。

ところが、運が悪いというかなんというか、ちょうどその頃が、僕の変声期だったんですよ。僕がわりと自信を持っていたボーイソプラノが出なくなっちゃったの。よくよくついてないなーって思ったよ。でも、だからといってボーイソプラノが出なくなったからって帰ってきましたなんて美濃に帰るわけにもいかないしね。

伊代子かあちゃんは伯父さんの印刷会社を手伝って、重いものを運んだり従業員の食事を作ったりして働いてくれたんだ。いつの間にかカレンダーに印が入るようになって、それが何の目印なのか最初は僕は解からなかった。でもそれが月に一度、仕送りのお金を持ってお父ちゃんが来てくれる日だったんだ。

家族が離れ離れになって、それでも「頑張れよ」って励ましてくれる父の為にも、一生懸命に働いている母の為にも、僕も出ない声を振り絞って発声練習をしたんだ。酷い時には、のどが破れて血が流れたこともあったけど、確かに基本だけはちゃんとやっておかないとね。僕は今でも、僕の歌を支えているのは、まず第一に、その頃の基礎訓練だと思っているよう。とはいってもかなりきつい毎日だったよ。

朝、起きて学校へ行く。放課後は歌謡学院へ行く。夜は宿題やら何やらを片付けてから、自分の音楽の勉強。エレキギターのコードを外して夜中にギターの練習もした。

そんな単調で、そのくせ苦しい毎日が約2年も続いたんだ。

(談・野口五郎/FC発行写真集「GORO3・旅」&ご本人のお話より)