04.03 日本縦断コンサート

日本縦断コンサート

1972年(昭和47年)4月3日~4月10日 広島~福岡~仙台~大阪~名古屋~札幌~東京
  • オープニング~ヒットメドレー
  • 悲しみの日曜日
  • 愛のレッスン
  • ゴー・アウェイ・リトル・ガール
  • マイ・ワールド
  • クレージー・ラヴ
  • 君の手紙
  • 初恋の季節
  • 傷ついた小鳥たち
  • スィート・キャロライン
  • マミー・ブルー
  • 悲しみの日曜日
  • 青いリンゴ

縦断コンサートレポート  当時の担当マネージャー中西正治

4月3日、朝6時30分、家を出発する。ギターケースを片手にアパートの階段を下りる顔はまだちょっぴり眠そうだ。そのまま車で羽田に直行し、会社の人やスタッフと顔を合わせ、まずは「おはようございます」

さて今日から8日間頑張るぞと口元を引き締める彼に、今までなかった大人の責任感を感じる。飛行機の中では歌詞を覚えるのに専念。

広島について本番の始まる1分前まで必死に練習、そしていよいよ本番。舞台の陰で、深呼吸をし、深く目を閉じて歌詞を繰り返し、オープニングを待つ。この瞬間はどんなベテランの歌手でも緊張するところだ。まして16歳の、そして初めてのステージという彼にとって、その緊張は人一倍だったと思う。

いよいよオープニング。テーマに乗って登場、ここまでは関係者の間で多少なりとも不安があった。というのは、彼にとって初めてのステージだし、ある程度期待はしていても親心というやつでの心配である。ところが「青いリンゴ」「好きなんだけど」「追憶」「青い日曜日」と進むにつれて、そんな不安や心配は一掃に吹っ飛んでしまった。あっという間に客席と一体となってノリまくっているわけである。水を得た魚のように思う存分に歌い、舞台狭しと動き回る。あとはこの録音盤のとおりである。

1日目は無事終わった。彼の衣装は汗でびっしょり、まだステージの興奮が全体に残っている。その夜 広島~福岡へ。よっぽど空腹だったとみえて、チャンポンと焼きそばをペロリと食べてベッドへ潜り込む。ちょっと疲れていたのかすぐに夢の世界に溶けてしまった。何の夢を見たかは不明。

2日目、福岡はカレーライスで目覚めホールへ。ファンと直に接することができるのが楽しみだという彼の言葉通り、舞台は完全に彼とファンが一致した楽しいコンサートになった。

その夜は一路、東京に戻り翌朝早いのでそのまま羽田のホテルに1泊。食事をしながら今までの反省会。あそこがよかった、あそこが悪かったと彼の口からたくさんの反省事項が出てくる。もちろんどれも、これもこれからの彼にプラスになることばかりだと思う。

翌朝は朝8時の飛行機で仙台へ。今回のホールの中では1番大きいホールということで、お客さんの入りを気にしていたが、朝早くから多くのファンが待っているというのを聞いて感激した。「クレイジーラヴ」のギターの味も一段と冴えてくる。帰りの汽車まで3時間ほど間があるということでホテルで小休止。一風呂浴びて疲れを一掃し、帰りの寝台車でグッスリ。

さて五日目の大阪へは新幹線で。帰りの大阪駅では大勢のファンに見送られて彼も大感激。その夜名古屋へ。久しぶりの名古屋の街に出て関係者と打ち合わせをしながら食事をしたが、ビールを飲んでいる関係者に合わせてコーラを飲んで酔ったふりをしたり、ダジャレを飛ばしたり、その夜はちゃめっけたっぷりの16歳だった。

翌日名古屋のステージは相変わらずの興奮ぶりであったが、ファンの間に入って、客席の片隅から息子の舞台をジッと見守っている、お父さんの姿が印象的だった。ステージが終わってお父さんの激励を受けて、ますますハッスル。

その夜、東京へ戻り再び空港のホテルで一泊し、翌朝は午前8時の飛行機で札幌へ。この日は東京の寒さに比べ、札幌が暖かいので驚く。昼のコンサートが終わってラーメン、夜のコンサートが終わって蟹と地元の自慢料理を食べて、なんとなく幸せそうである。

さて、いよいよ今回のコンサートの最終地東京杉並公会堂に戻る。1週間見てきて、最初の広島、前回の札幌まで、その進歩には目を見張るものがあった。あそこがよくない、ここもよくないと何度も注意しようと思うことがあったが、こちらが注意する前に翌日のステージではちゃんと自分で直しているのである。今回を通して僕が1番驚いたのは、彼のそういう勉強心かもしれない。もちろん、東京のステージも、オープニングの「青いリンゴ」からクロージングの「青いリンゴ」まで何ひとつ、ぬかりはなかった。

アンコール、客席に手を振る彼の前に幕が下りる。スポットライトを浴び、顔の汗が光る。そして今、幕が下りた。「五郎、お疲れ・・・」どれだけの成果があったのか、どれだけのプラスがあったのか、それは今すぐにはわからない。もちろんこれからの彼にかかっているわけだが、このコンサートをひとつの踏み台として、より多くの人に大きな実を作ってくれると僕は確信している。その時こそ、このコンサートをやったという大きな意義が出てくるのではないだろうか。

マネージャー中西正冶