10.01 ファンクラブ会報「五郎」第3号発行

会報「五郎」第3号発行

1972年 (昭和47年)10月1月

(ファンクラブ会報誌「五郎」3号より)

ゴローといっしょ!!


八月二十八日、マザー牧場でファンのつどいが行われました。八時半皇居前広場に集合。バス十五台は、どれも満員でとってもなごやかな雰囲気でした。しばらくして、ゴローくんも到着。バスごとに「おはよう」と、あいさつして回ると、今まで眠そうだった人も、手をふって答えていました。九時十分、ゴローくんの車を先頭に一路、マザー牧場へと出発。
十二時、晴天のマザー牧場に到着。おべんとうを食べた後、各バスの代表選手により、のど自慢大会がはじまりました。審査員はもちろんゴローくん。「博多みれん」にはじまり「青い日曜日」までの、ヒットナンバーをみんな一生けんめいに歌っていました。途中から、ゴローくんのギター伴奏が入り、出場者の歌によりいっそう熱がこもりました。司会の中西マネージャーとのおしゃべりも、とっても楽しく、また出場者には歌のお礼にひとりひとりカターーーーーイ握手!(出場者の皆さん、よかったですネ。)おしまいに審査の結果発表。優勝は「博多みれん」を上手に歌った坂巻さんに決まり、三号車の全員に、サイン入りアルバムが贈られました。


熱狂!大阪リサイタル
8月30日、大阪の街から女の子が消えた?!みんなフェスティバルホールに集まっていたのです。夏休みの最後を飾る、野口五郎ショーがもうすぐはじまります。『ジ〜〜〜〜〜ッ!』(開幕のベルが鳴りました)
華やかなライトを浴びて、ゴロー君の登場。おなじみのヒット曲やゴローくんの得意なポップスを次々と歌います。(ストップ・ザ・ミュージック、愛の聖書、もちろんグレージーラヴも・・・)チカチカと点滅するライトのなかで、ゴローくん、衣裳を着替えるんです。これがまたカッコイイ。
後半は、生まれてから今日までのゴローくんの半生記を紹介するコーナーです。子供の頃の写真がいろいろ、リンゴ形のスクリーンに写し出されました。歌手になることをお父さんから反対されたこと、友だちと別れて東京に出て来た時のこと。声変わりのこと。デビュー曲が売れなかったこと。舞台のゴローくんを見つめる目は、涙で光っていました。
ゴローくんすばらしいショーを、ありがとう。