04.13 日生劇場特別リサイタル

'77 日生劇場特別リサイタル

1977年(昭和52年)4月13日~4月28日
  • オープニング・HEY MIXER
  • 流氷
  • ロックンロールかぐや姫
  • カルメン警部とペッパーレディー
  • 42.195km  
  • 拝啓ジョディ・フォスター様
  • 少女よ 
  • 水平線へ 
  • 甘い生活  
  • 私鉄沿線  
  • むさし野詩人
  • 思い出のアラカルト~博多みれん
  • 沈黙
  • 春らんまん
  • 白い切符 
  • 愛の嘆き
  • アドロ
  • されど青春 
  • アンコール~愛のラルゴ
  • マイ・ウェイ
  • 歌がある限り
  • SEE YOU AGAIN

 

(ファンクラブ会報「五郎」第19号 昭和52年5月20日発行より)

大地を揺り起こすティンパニィの、歓迎の響きに誘われて、五郎が飛び出してきた。

天に大地大海にも春の陽差しが差し込み、北半球は目覚め、活動を開始した。木々は芽吹き、人々の 心に愛が芽生えた。悩み喜びが生まれ育った。人生は42.195キロの・・・・。

シンプルな舞台にいくつもの世界が作り出された。いくつもの表情の空、海。その照明の美しさは、いくつものドラマの中へ私たちを連れていってくれた。五郎の愛の中へ、夢の中へ、ロマンの中へ。

この全地球的スケールのステージ、そして人間野口五郎の心を、そっと背後から垣間見せてくれたような ほんのりヒューマニティ。中西さんの作詞らしい「春らんまん」「白い切符」「愛の嘆き」の3曲。何を感じただろうか。

4月28日、最後のステージで、「この日生劇場で、演歌を歌うのは、僕が最初で最後でしょう」と言って みんなの宝物「博多みれん」を歌った。さらに「されど青春」は、いつもに増して、心の隅々まで染みわたった。

「1枚のレコードを出したくて、8年前に美濃から東京へきました。欲なんてなかった。それが、この日生劇場のステージに、今は立っている。本当に頑張って歌ってきてよかった。皆さん、どうもありがとうございました。」

バックのプレーヤーの仲間たちも、みんな五郎に拍手を送ってくれている。ラリーさんが、羽島さんが 新井さんも、栗林さんも。そうしてみんな泣いている。会場のすすり泣きは、波のようなひとつのメロディーになっていた。「素晴らしいステージをありがとう。今まで五郎と共に過ごしてきてよかった」と 言っているように思えた。

ハートとハートがぶつかり合って、音を出したようなステージ。会場全体の涙とともに力一杯の「歌があ る限り」そして「シー・ユー・アゲイン」両手を広げて、心からの感謝と、喜びを表す五郎。ファンの皆さ ん、プレーヤーの皆さん、そしてステージの上には最後まで現れなかったスタッフ、裏方さん、どうもありがとうございましたと、何度心中で叫んだことでしょう。

ただひとり残ってピアノ弾く、東海林先生の方へ歩み寄る五郎。ふたりの眼に涙があふれた。どれだけの思いが行き来したことだろう。シーユー・アゲインに見送られて、星空に消えて行く後ろ姿も、さようなら そしてありがとう。

19回のステージはすべて終わった。よかった。去りがたい気持ちをよそに、あのステージの大道具が取り 外された。つい30分前まで光輝き、きらめいていた、あのステージが、一片のかけらもなく取り払われてしまった。最後のひとつまで消されてしまった真っ暗な舞台に、一歩足を踏み入れると、もうそこには新 しい仕事を何のためらいもなく、静かに待っている舞台があるだけだった。森閑として広い空間、改めて生のステージの大きさを、感じずにはいられなかった。

五郎の熱唱、ファンのすすり泣き、拍手がさざ波のようによみがえってきた。 そして五郎よ、来年また逢おう。一段と成長した、たくましい青年よ。