10.28 日生劇場特別リサイタル GORO IN NISSEI THEATRE

GORO IN NISSEI THEATRE '78日生劇場特別リサイタル

1978年(昭和53年)10月28日~11月12日 昭和53年度第33回芸術祭 大衆芸能部門優秀賞受賞!!
  • オープニング・ファンファーレ 
  • ミスター・タンバリン 
  • 不思議な国のアリスになってみませんか 
  • 42.195km
  • ぼくVS僕 
  • ポップ・ロック 
  • 朝帰り 
  • スキッピィ
  • 風のうわさ
  • アラビアのロレンス
  • 僕にとって青春とは・・・
  • グッド・ラック
  • 甘い生活
  • 泣き上手
  • 私鉄沿線
  • アドロ
  • 愛よ甦れ
  • 見果てぬ夢
  • 水平線へ
  • レッド・イット・ビー・ミー
  • マイ・ウェイ
  • SEE YOU AGAIN

(ファンクラブ会報「五郎」第24号 昭和53年11月号より抜粋)

日生劇場楽屋裏話

いよいよ初日の幕開け。一部緊張のうちにも最高の出来。楽屋に倒れこんでいた五郎君「僕もう帰りたい~」なんとも声がうわずり、顔はクシャクシャに歪んでいるのです。といってもご心配なく。ステージは、どんなに自信を持っていても、幕が開くまで、良いか悪いかわかりません。五郎君、予想以上に乗ったファンの皆さんの反応に感激した照れ隠しのようです。その22歳の、もうひとつの甘えん坊の一面は、大成功間違いなしの 自信の表れだったのでしょう

今年も楽屋は、春でもないのに花飾り。
カックラキンの仲間たちから、そして雑誌社から等など、1番長持ちしたのはドライフラワー(笑)

差し入れは、楽屋冷蔵庫の上に並べて、ご自由にどうぞという形式。ケーキにまんじゅう、アイスクリームにミカン、リンゴと並ぶこと並ぶこと。毎日のことカラ党も甘党の仲間入り。「今日のケーキはなに?」と言ってみる矢島さん。本当はどっちかなぁ。確実に日生の楽屋にて甘党に変身しそうなのが羽島さん。さてさて五郎君はというと、歌う前にあまりものを食べたり飲んだりすると、口がカラカラに乾いてしまうのだそうです。 普通、甘いものは喉にいいのかなと思いますが、ここでひとつ利口になりましたね。ちなみに間食というか間飲は、アメリカンにお砂糖を少々、日本茶もアメリカンで。

東海林先生の楽屋に、なんと靖国神社のお札が。ここで少し恐いお話。東海林先生が「僕にとって青春とは」 の作曲をし終わったばかりの時、確かに曲をテープに吹き込んだのだそうです。でもテープのどこを探しても 音は入っていなかったのです。証言者も確かにいます。その話もあって五郎君、28日朝10時前に、スタッフと一緒に靖国神社にお参りしたのでした。東海林先生はといえば、五郎君たちより、もっと早くお参りしたのだそうです。おかげで大成功を。五郎君にとってより感慨深い歌となったようです。ちなみに五郎君、出かける時はいつも「野口五郎、ゆきます!」と、青年士官のつもりなのです。

五郎君の着替え時間40秒キッカリ。グッドラックまでの着替え。舞台袖で寺岡君と鈴木君が、白い靴と白い衣装を持って待機しています。急ぐので破れたりしないかと、デザイナーの高畔さんもほとんど毎日、楽屋入りでした。衣装はいつものように、すべて2着ずつ用意してありました。

五郎君のお母さんも、時々楽屋に。五郎君の部屋には、相変わらず「気を使わせては・・・」と入りません。 そこで聞いた話。お母さんが自宅のお隣さんに「五郎のスタジオの音、うるさくありませんか?」 お隣の奥さん「いいえ、ちっとも聞こえませんよ。でも最近、五郎さんは一段とお上手になられましたわね」 またまた、どうなっているんでしょうねぇ。

11月2日付でアサヒイブニングニューズに評が載りました。
「野口は同年代の歌手の中で最も素晴らしい男性歌手だ」
「野口五郎は15歳でデビューし、その頃は"才能のないタレント"の一人でしかなかったが、他の歌手は あまり成長しないが、彼は風変わりな身なりから卒業して、彼の歌唱力だけを頼る本当の歌手になった。同世代の歌手グループの先頭に立っていて、私達は、彼が力強い若者のような服装をしていて、舞踏会の衣装のようでそうでない格好を、また他の若い歌手、とりわけ西城秀樹のように、激しいボディアクションで訴えるのでなく、凝ったステージ効果でないことを嬉しく思う。」という内容でした。