06.01 ファンクラブ会報「五郎」第5号発行

会報「五郎」第5号発行

1973年 (昭和48年)6月1月

(ファンクラブ会報誌「五郎」5号より)

5月6日、エールフランス、9時20分便と言えばすぐわかりますね!!そうです。
新聞第1号でもお知らせしたように五郎君がヨーロッパへ出発する日です。そこで私たち野口五郎・会報記者としてはこの重大ニュースを会報に載せるための写真を取って来ようと勇敢にも立ち上がったのです。(オーバーなのであります。)まず羽田に行っておどろいたの。この日はちょうどSundayだったので、ファンの多いのなんのって、ファンの整理のために自衛隊を出動させるなんていうのは冗談だけどとにかく多かったのよ。この日の五郎君のスケジュールは栃木県のリンドウ湖のショーを終えたあとの出発なのでショーが終わり次第フルスピードでこちらへ来ました。五郎君って早いですね。何が?足がですよ。五郎君は車を降りたと思うともうロビーを通って行くその速さたるものスーパーマン以上そしてそのあとを追いかけるファンも又猛烈な勢い!!なんとゲルマン民族大移動を思わせる風景。あッというまにロビーには五郎君の姿はもとよりファンの姿までないのです。私たちや一般見送り客はただあっけにとられてボケ〜〜っとしちゃったのです。私たちもまけずにそのあとを追いかけたけどすでにやすしではなくおそし。五郎君はもう税関に入ってしまったあと・・・・・・こまったなあ。こんな時は・・・ウルトラマンを呼ぼう!!ウルトラマンは来なかったけれどチャンスはありました。別れの窓があったのです。五郎君はのどの具合が悪くて入院し、その後すぐ連続5日間の地方でのショーで疲れているのにもかかわらず多ぜいのファンに五郎君得意の「どうもしんずれい」を連発してファンをたのしませてくれました。このあと五郎君はいっしょに行く西川社長を始めポリドールの関係者の人たちと飛行機に乗りこみました。五郎君の心の中はロンドンでのレコーディングへの期待と不安でいっぱいだったのでしょう。

五郎のひとりごと
今日の朝ごはんはあまり食べたくなかった。頭が少し重くて、体がだるーい。
看護婦さんは「平熱です」とこともなげに・・・。お昼前オフクロが来た。あれこれ気を使ってくれる。赤ン坊みたいだ。
人が見たらとってもあまちゃんに見えるだろうなあ。でもここはビルちゃんと藤原坊しかいないから。そろそろ退屈になりはじめてる。いじわるばあさん全部読んだし、スロットマシンは二人の方が熱中してる。夜、歌番組をみる。本当なら僕はその中にいるはずなんだ。何もしないのにつかれた。
「坊、おフロに入りたいんだ。」                病室にて五郎