「ちびっこのど自慢」で優勝して、それで気をよくして歌手になろうとしたのかって? いえいえ、夢多き少年としてはコントロールは悪くても剛速球1本槍で、立派な野球の選手になろうと思っていたのです。
昭和43年に市立美濃中学に入学して、僕は野球部へ入ったんだ。
野球をやるからには、将来甲子園に行くじゃない、なぁ~んて言ってね。特訓に次ぐ特訓を重ねていたんだけど、中学1年の時になった秋頃だったかな、突然右足を痛めて。初めはちょっとした捻挫かなと思ったけれど激痛が続くし、医者に行ってもどうにも原因がわからない。
あちこちの病院へ行ったけど、はっきりしない。で、とにかく激しいスポーツは控えるようにって。それで、カーン。いや実をいうと、本当にあの時は苦しかった。野球ができなくなって、もうこれから先の自分には、何にも残っていないように思えてね。毎日毎日ふさぎ込んで過ごしていたんだよ。だから学校から帰ると、部屋に閉じこもって、ひとりでギターを弾いていたわけ。
そんな時だったよ、ある日ふと、歌手になろうかなって思いついたの。
それは、本当に、ちょっとした思いつきだったんだけど、時間がたつにつれて、どんどん膨れ上がってくる思いだったんだよね。
僕は実に実に慎重に、自分自身を見つめて、何度も何度も、自分に聞いてみた。
本当に歌に賭けてみるつもりなのか、それとも、野球ができなくなった自分の、ちょっとした思いつきなのか。
それから、歌手になろうということは、どういうことなのか、お金を儲けたいのか、華やかなスポットライトをあびて世間からチヤホヤされたいからなのか。それとも、本当に「歌」というロマンの中で自分を生かしてみるつもりなのかってね。
今、考えてみても、あの時期ほど真剣に、それから慎重に長時間、自分自身と対話したことはなかったと思うよ。でもそれでよかったんだよね。結局それで、自分の進む道を決めることができたんだもんね。
(談・野口五郎/FC発行写真集「GORO3・旅」より)