昭和46年に堀越学園に入学が決まって、その頃、レコード吹き込みの話が来たのは。嬉しかったなぁ。 自分の歌がレコードになるなんて、本当に夢のようだと思った。
ちょっと気がかりだったことは、僕はロックが大好きだったのにデビュー曲は演歌だという事ぐらい。 でも演歌っていうのは日本人の歌心の基本だしね。たとえロックだって日本人が歌えばかなり演歌調になるってことも否定できないし、とにもかくにも、天にも昇る気持ちというのはこういう事なんだなあって、毎日考えては嬉しかったな。
芸名も「野口五郎」と決まった。本当は、もっとカッコイイ名前が良かったけど、レコード会社の偉い人が「日本アルプスの野口五郎岳のように、大きくなるように」って意味でつけてくれたんだ。最初はね、皆から「ごろう、ごろう」って犬みたいに呼ばれて嫌だったけど、今はもう、これが自分の名前なんだって、とても愛着があるし、いい名前だと思ってるいるよ。
そのレコードは昭和46年の5月1日発売「博多みれん」っていう歌。両親も喜んでくれた。 本当に今まで頑張った甲斐があったって、幸せな気分だったけど、実は、僕は大変な甘ちゃんだったん だよね。なんとこのレコードがまるっきり売れないんだよ。ポリドールの人たちも精いっぱい宣伝アピー ルしてくれているのに、どうもも思わしくない。デビューしてから約3カ月間「売れない歌手」「振り 返ってもらえない歌手」そんな感じでね。つらかった。本当に屈辱的だとも思った。どんなふうに努力すればすべてが良くなるのか分からなかった。それに、何をやってもダメなんじゃないかって気持ちもしていた。いやな毎日だったよ。
だけどね。人間、くさってはいけないんだよね。僕の回りには、きっと僕以上に辛い思いをしながら、 そしてそのくせ、僕のために努力をしてくれる関係者の人々がいたんだよね。
(談・野口五郎/FC発行写真集「GORO3・旅」、およびコンサート中のご本人の話より)