(ファンクラブ会報「五郎」第27号 昭和54年6月号より抜粋)
若狭さんのロス情報
五郎君のロスでのレコーディングも、はや3回目。すっかり自分の庭のように元気でした。それにしても、私は初めてなのです。 同行の中西氏を一瞬たりとも見失うまいと、外の景色さえ覚えていないのです。僕たちは五郎君たちよりひと足早く、夏・八大都市コンサートの勉強を兼ねて、照明の伊賀さん3人と、星のじゅうたんのように美しい空港に到着。
飛行機から出た途端、もう出迎えの人がいっぱい。さすが我々の人気もすごいとばかり喜んでおりました。ところが、日本と違って、乗り降りのすぐそばまで、見送りと出迎えが一緒にドッと押し寄せているのです。 ションボリとしている3人の前に、メキシコ人が1人、ヌッと現れたのです。なんと、よく見ると、あのビルちゃんなのです。 こぼれる笑顔がそこにありました。
みなさん、ビル安田は元気でした。ロスに生活して5カ月、すっかり、たくましくなって唇をふるわせておりました。われわれ、3人はさっそくビルの会社、いやあちらの国産車は、なんとスポーツタイプのグウな車なのです。その愛車の乗せてもらって、その夜はおしゃべりが続きました
12日には、プロデューサーの中村さん、ディレクターの渡辺さん、そしてミキサーの前田さんがついて、レコーディングの打ち合わせが 始まり、だんだん仕事のエンジンがかかり始めました。
それにしても、とにかくフリーウェイの立派なこと。ロスでの生活は、車なしでは考えられません。ところがロスは、 ガソリンスタンドのストライキで、大パニック状態なのです。3時間ぐらい並んで、やっと半分入れてもらうとか、曜日によって、 奇数・偶数のナンバーしか入れてもらえないほどなのです。われわれのレンタカーも、ガス欠で大変でした。しかもビルの愛車まで、 エンジントラブルで、五車線のフリーウエイで立ち往生といったハプニングもあるほどでした。
五郎君の到着の日から、リズムセクションの録音が始まりました。 今回のスタジオは、やはりハリウッドの中心にあり、いろんなレコード会社や、テレビ局に挟まれた、ウォーリー・ハイダースというスタジオです。 道路に面して平屋風の一戸建てで、ドアを開けると、すぐスタジオです。五郎君にとって、素晴らしい友人のミュージシャン達が、アレンジャーの船山さん、作曲の筒美先生の注文で、スピーディーに、連日続きます。
あの有名なドラムのジェームズ・ギャドソン、そしてギターのラリー・カールトン、サックスのデビット・サンボーン、すっかりおなじみのメンバーと一緒にいる、五郎君の目は輝いています。そのうえ結構な事に失礼なほど、五郎君の英語が、これまたグーなのです。驚いたなあ・・・。
ホテルに帰っても、今まで録音したテープを聞きながら、必死でレッスンをしている五郎君の部屋から、ロスの街は一望に見えますが、 そんな景色も五郎君の目には入らないほどなのです。
トム・スコット、デビッド・サンボーンなどブラスセクションの録音も上がり、いよいよ、五郎君のボーカルに入りました。広いスタジオへたったひとり、ヘッドホンをつけて、挑戦している姿は、とてもすさまじい、何かを感じました。
そんなある日、あのラリー・カールトンの自宅のスタジオルーム335で、ソロのレコーディングがありました。自分のスタジオとくらべながら、相当、興奮していた五郎君。
スタジオの廊下には、コーヒーがいつもあって、慣れた手つきで五郎君、みんなの分まで入れてプレゼントしていました。
ロスの、あの緊張の音の缶詰は、もうすぐ君たちに届きます。