04.29 STB LIVE

STB LIVE~ COLORFUL ENERGY vol.10

2010年(平成22年) 4月29 日~5月 5日 祝☆40周年&STB 10年目!!
  • 博多みれん
  • 青いリンゴ
  • 雨に消えた恋
  • オレンジの雨
  • 愛ふたたび
  • 甘い生活
  • 私鉄沿線
  • 哀しみの終わるとき
  • 夕立のあとで
  • むさし野詩人
  • 沈黙
  • グッド・ラック
  • 送春曲
  • 愛の証明
  • コーラス・ライン
  • さすらい気分
  • 氷をゆらす人
  • 裏切り小僧
  • ダイヤル177
  • 19:00の街
  • 一人が好きですか
  • 花遊戯
  • さらば友よ
  • 最後の握手
  • スマイル・アゲイン
  • Sweet Rain

(ファンクラブ会報誌 GORO CLUB Vo.162より)

今年のSTBは何かが違う!?
今年のGOROは何かが違う!?
曲目リストを見てビックリ!!
これがGOROさんの書き込みにあった「一生に一度だけの自分の為のライブにしよう」という事だったのですね。そこにはGOROさんの40年の想いが感じられ ました。デビュー記念日の5月1日を中心に、千秋楽の熱気をご報告する事にしましょう。

開演時間になり、ステージに注目していると、スクリーンに幼い頃のGOROさんの写真が映し出されました。生後1・2ヶ月、6ヶ月、女の子みたいな10ヶ月、やんちゃ盛りの2歳、お兄ちゃんと小倉山公園で遊ぶ3歳、お兄ちゃんが小学校の校庭で撮ってくれた4歳。岐阜市民会館で行われた「ちびっ子のど自慢」に出場したビデオ。(予選時は10歳)司会の大村崑さんに紹介され、ギターを抱えた“佐藤靖(11)”君が♪今夜は踊ろう♪を歌っています。小学校6年生ではお兄ちゃんのグループと一緒に自宅近くのホールで♪青空のある限り♪を歌ったり、玄関前やお兄ちゃんのギターを抱えてポーズをとっている写真もありました。中学1年生、1969年5月、上京してきた浅草で描いてもらった似顔絵。そして「友情の花束(白い花束)」(米山正夫先生・詩曲)の楽譜と歌声。歌のレッスン用直筆の楽譜やGOROさんがレッスンで歌う森進一さんの曲が流れます。

1971年5月1日デビュー曲となった博多みれんが流れる中、レコードジャケット風にアレンジされた写真でバンドメンバーを紹介。そして博多みれんのジャケットが映し出され、GOROさん登場!博多みれんの続きを歌い、さあ、40周年ライブのスタートです!(1971〜1972)青いリンゴ~雨に消えた恋

G:みなさんようこそいらっしゃいました。今日、5月1日が本当にデビューして10周年を迎え…いや40周年を迎えた記念の日です。(拍手~~)ありがとうございます。オープニングの映像に「白い花束」という楽譜がありましたが、あれが本当のデビュー曲だったんです。あの曲でデビューする為に上京して来たのに、一週間目に変声期になってしまい、米山先生から半年間休みなさいと言われました。でもどうしても休む勇気がなかった、焦っていたんです。上京して来たばかりで何とかしたいと。オーディション番組に出たり、演歌のレッスンを受けたりしました。今回のステージでは、僕がデビューしてからの曲を全部歌ってみようと思いました。フルコーラスは大変なので、ワンコーラスだけですが、曲のイメージを大切にして60数曲歌います。一週間声が続くか僕自身の中でも不安はありましたが、まあ、やるだけやってみます。千秋楽を迎えた日にはやはり限界なのでは?と心配顔のみなさん。

G:もう声帯は3日前には終わっているのです。なのに何故歌えるのか、自分でも不思議です。後半になればなる程エネルギーが沸いてくる、自分に対して“負けるもんか!”という気持ちと、みなさんに歌わされていると感じました。みなさんのパワーってスゴイな~
そこまで言われたらもうひと踏ん張り、目一杯応援しまーす!

(1973〜1974.7)オレンジの雨~愛ふたたび
G:こういう感じで進めてみたいと思いますが退屈してないですか?大丈夫かな?(大丈夫でーす!!)歌って不思議なもので、当時の自分に戻してくれるんです。40年間いろんな歌い方を勉強してきたつもりなのですが、何故かその曲の声帯、その身体になっちゃうんです。すごく喉に負担がかかるのですが、まあそれもいいかなと思っています。みなさんもあの頃に戻りませんか?ああだったな、懐かしいな、追っかけしてたけど無視されたわ~とかね(笑)帰りが遅くなってはいけないと、気を使ってわざと素っ気無くしたと言っていましたが…本当かな?!

(1974.10〜1975.4)甘い生活・私鉄沿線・哀しみの終わるとき
G:この3曲は3部作になっていまして、“甘い生活”で一緒に暮らしていた女性が去っていき、その女性を“私鉄沿線”の改札口で待っていて、“哀しみの終わるとき”で再会し、悪い男に騙されて傷ついていたが、そんな事は忘れてもう一度やり直そう、という非常に優しい男の話なのです。まるで僕です!(笑)そう思いながら改めて聞いてみると、なるほど、ストーリーが感じられますね。

(1975.7〜1977.1)夕立のあとで~むさし野詩人
G:何故今回これをやりたかったかという理由の一つは、10代の頃のインタビューの事を思い出したからです。「GOROちゃんは25歳の頃には何をやっていたいですか?」と聞かれました。それで僕は「自分で喫茶店を開いて、小さなステージを作って、そこで毎日歌っていたいです」と答えました。歌手として10年以上続けていられるなんて考えられない時代でした。5年くらいやって紙屑のように捨てられるのだから(笑)もしその通りになっていたとしたらこんな感じかな…という想像の世界を考えたからです。40年歌い続けてくれたのは嬉しいけれど、GOROさんの歌が毎日聞ける喫茶店もあればいいのに~と思ってしまったのは私だけ?!

(1977.4〜1978.9)沈黙~グッド・ラック
G:ライトが時々客席に向けられるとみなさんのお顔が見えます。結構憶えているんですよ。あ、あの人だ、今日も来てるんだ、いつも一緒の人はいないな、とかね。それと曲によってみなさんの表情が様々なんです。それぞれ当時を思い出しているんだろうなって。(いい顔していたか心配になった方はいませんか!)この頃は映画やドラマをやり始めました。同時に音楽に夢中になりました。月にレコード代が20万、30万円掛かりました。何処に行くにもヘッドホンをしていましたね。

(1978.12〜1980.2)送春曲~愛の証明
G:海外でのレコーディングもしました。海外のミュージシャンを日本に呼んでコンサートもしました。今でも交流がありますよ。いろんな方との出会いがあり、今の僕があるのはその方達のお陰です。そして今も出会いがたくさんあります。もっともっと人との繋がりを大事にしなければいけないなとつくづく感じます。(私たちもGOROさんとの出会いをずっと大切にしていきます)さあ、そろそろみなさんのストレスが溜まってきた頃かなと思います。みなさんの出番ですよ!こういう話をしたら次はどんな曲か分かりますね!

(1980.5)コーラス・ラインです!GOROさんがワンコーラスを歌い、
『みんな大きな声を出して歌ってくれるって約束してくれるかな?』「ハ~イ」
『声が小さい。約束してくれるかな?』「ハ~イ」
『声が老けてる!(笑)もっと若い声で、約束してくれるかな?』「ハ~イ」『いいかもしれな~い、ワン・ツー・スリー、今日はいいや!!(笑)』
エ―!歌う気マンマンだったのに~~~千秋楽こそは一緒に歌えるかと期待しましたが『やっぱりいいや!』でした(>_<)

(1980.6〜1981.4)さすらい気分~氷をゆらす人
G:今日は綺麗な方がいっぱいいらっしゃるので驚いているのですが、どうしたのですか?とてもお似合いです。
気が付いてくれましたか!前号で告知をした“ベストオシャレさんde賞”の企画で、4/30と5/1はオシャレして来て下さったのですよね。うん?じゃあ今迄は綺麗じゃなかったってこと?!(笑)

(1981.8〜1982)裏切り小僧~舞
G:「ダイヤル177」を歌っている時、よく言われたのが、天気予報は117、177どっちだったかな?という時にまわすダイヤル177あ~そうだ177だ!ってわかる方が多いという事です。(そうそう、私もその一人です)この頃は舞台を始めました。初舞台は帝国劇場での”ロミオとジュリエット”、ジュリエット役を…いえオネエじゃないのでロミオ役です(笑)その他の舞台もすごい厚さの台本ばかりでした。

(1983〜1984.5)19:00の街~一人が好きですか
G:人生は良い事ばかりではなく、試練もたくさんあります。丁度この時期が“野口五郎最大の危機”でした。みなさんにはあまりお話していませんでしたが、声が出なくなったのです。“イップス”という症状があるのです。プロゴルファーの間で知られていて、パットが出来なくなるなどの障害がでます。(プレーに関係する筋肉を使いすぎたり、強調や精神集中に迫られることで悪化する場合があるそうです)歌い手も陥りやすい症状なのです。長く歌い続けてきて、いろんな声を出しているうちに、自分自身が自分の声を聞いて審査員になってしまうのです。大きな声を出したいという思いもあり、たくさんの舞台をやりました。それから“パニック症候群”にもなりました。「レ・ミゼラブル」の舞台上で倒れてしまった事もあったのです。でもその症状とうまく同居していこうと思うようになり、すごく楽になりました。それも自分なんだと認める事です。進化する為にすべてのものを受け止めるのは大切で、とても勇気のいる行動かもしれません。
んな時期があったなんて…(絶句)、今、こうして進化した歌声が聴けてほんと~によかったです!!

(1984.9〜1988.7)花遊戯~さらば友よ・最後の握手
G:最後の曲はさらば友よ、俺は次の汽車でゆくのフレーズでもう終了!?)益田喜頓(きいとん)さんとのデュエット曲だったので、この先を歌う方がいらっしゃらなくなり、この曲は益田喜頓さんに捧げた気持ちでいます。だんだん終盤に近づいてきました。今日歌ってきた曲の中には、今回だけでもう二度と歌わない、歌う機会がないという曲もあるかと思います。この一週間は僕の可愛いオリジナル曲たちを表に出してやろうという想いで歌っていきます。仕方のない事なのでしょうが、機会があればまた歌って下さいね!

(1988.10〜2003)スマイル・アゲイン~Sweet Rain
60曲が終わりました。歌いきりました!

G:これが僕の40年の全てです。一週間で500曲以上です。何バカな事やるの!無謀だ!とみんなから言われました。でも一生に一度だけ、僕の使命として絶対にやらなければいけない。もうこの先出来ないかもしれない。だからこうして僕のわがままを聞いていただきました。バンドのメンバーにも迷惑を掛けました、(振り向いて)ありがとう。自分の為の自分のライブだった気がします。5/1にはお母様も観に来られており、『産んでくれた母親のお陰です』と感謝の気持ちを涙声で語りました。千秋楽ではファンの方達への感謝の気持ちが溢れ出ました。

G:僕はみんなに何をして上げられる?もっともっとみなさんに恩返ししたい、歌うだけでは物足りないです。40年歌い続けてこられたのは、偶然やまぐれではないのです。みなさんという土台があったからだと思うし、心からほんと~~~~に(頭を下げながら)ありがとうございます。あくまでも40周年は通過点です。後半戦に向かってスタートを切って参りたいと思います。目に涙を溜めて熱く、熱く語ってくれました。客席でも涙を拭う姿が多く見られました。

G:そして今回、どうしてもみなさんの前で歌いたい曲があります。60曲全部歌ってからみなさんに伝えたい曲、絶対そうなんだと自分でそう信じて歌わせていただきます。君こそわが青春でした。感極まって、涙で歌えなくなる場面もありました。客席から頑張って!の拍手です。君こそ青春、わが青春、そしてさだめ、わが人生GOROさんは何を伝えたかったのか。みなさんはこの歌詞をどう受け止められたでしょうか。“君”とはGOROさんにとっては、やはり“歌”なのだと思います。そしてファンの方ひとりひとりの“君”への感謝の想いもこもっているのだと…。アンコールの拍手が続きます。5/1には「アンコールに着けて下さい」と光るブレスレットを配り、お祝いに協力していただきました。ステージに戻ってきたGOROさんはそれを見て、『うわ~キレイですね!』と会場を見渡しました。

G:みなさんが観に来て下さる限り、いつまでも歌っていたい、ずっとこのままだったらどんなに幸せだろうと思います。ありがとうございました。

ALL BY MYSELFを歌い終わると、ステージ両端から金テープ入りのバズーカクラッカーがドーンと打ち上げられました。キラキラして綺麗でした。近くの席の方はビックリされたかな、ごめんなさいね!記念に金テープを持ち帰る方もいらっしゃいました。

 おめでとう!の声が響きます。バンドメンバーとステージ前方に並び、手を繋いで挨拶をし、メンバーが先に帰ると、今度はスクリーンにたくさんの“顔”が映し出されました。これは4/30と5/1の開演前に、GOROさんへのおめでとうポーズを撮影させていただいたものです。総勢250人の素敵な表情をGOROさんも一緒にじっくり見ていましたよ。あなたの“顔”は見つけられましたか?
最後の締めの一枚は“髭ワンマネ”の顔でした!!『愛してるよ~!』と叫んでステージを後にしたGOROさんでした。心に残る記念日になったでしょうか?みなさんご協力ありがとうございました。

千秋楽ではダブルアンコールがありました。GOROさんが帰りかけると、客席から「え~」の声。わかっています、声帯が、気力が限界を超えている事は重々わかっているのです。でも、まだGOROさんの歌が聞きたいのです。『では、身も心もボロボロになった姿を最後にお見せします。』客席からは“エ~”の声。明かりが消え、流れてきたイントロは21世紀の箱舟の出帆です。
えっ!限界を過ぎているのに、まだあの声を出すの?!感動と心配が入り混じった気持ちで聞き入っていました。歌いきり、崩れ落ちるGOROさん。みんなが心配する中、立ち上がったその顔は、疲れきってはいても、すがすがしい笑顔でした。もう言葉はありません。ただただ「ありがとう!」の一言に尽きます。GOROさんの40年、一緒に歩いてきたファンとしての40年を身体中で感じた瞬間でした。昨年、入場動員数の記録を作りましたが、今年はそれを上回る動員数となり、自ら記録を更新しました!連日大入りでしたからね。来年もお待ちしておりまーす!一曲一曲にみなさんそれぞれの思い出があり、笑顔や涙が溢れたライブになった事と思います。これからもGOROさんと共に一年、一年思い出を重ねていって下さい。